"Roots/vol.8" 『中野坂上デーモンズ』ーーー青春群像劇を書き切りたい、作り切りたいっていう気持ちがもう、すごい。

佐藤佐吉演劇祭2022、参加団体のこれまでとこれからをお伺いし、できれば歴史をアーカイブしていくインタビュー企画"Roots"が始まっております!

いままでのRootsはこちら

本日は、中野坂上デーモンズのおふたりをお招きしたインタビュー抜粋書き起こしです!

松森モヘーを中心とした演劇のチームとして発足。
劇場旗揚げ公演を前にチーム内での確執・裏切り・陰謀・争いをへて現在の形となる。8年の期間を経て劇団化。
全てを出し切り「何かはわからないが業の深いもの」を生み出すスタイルは唯一無二であり、見るものを謎の感動へと引きずり込むが、何も感じない人もいる。
2022年、団体旗揚げ十周年を迎える。(写真左/佐藤昼寝、遺影/松森モヘー)

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大石:佐藤佐吉演劇祭2020インタビュー企画Rootsvol.8ということで中野坂上デーモンズの皆様にいらしていただいております。よろしくお願いいたします!自己紹介お願いしてもよろしいでしょうか!

松森:はい、中野坂上デーモンズという劇団を主宰しております松森モヘーと申します。


佐藤:デーモンズ劇団員の佐藤昼寝と申します、よろしくお願いします。


大石:よろしくお願いします。モヘーさん。


松森:はい!


大石:鼻ピ…空いてましたっけ…


松森:そう、空いててんなこれがな。もう何か自分でも自然になってるからさ。マスク取った時とかに普通におんねんけど、やっぱたまにつっこまれるやんな。でもマスクしてるとバレへんていうかさ。

(※注:大石は松森さんの座組の舞台監督を何回かしています)


大石:そうかマスクしてたからか。えっとそれでは最初に皆さんにお伺いしていることなんですけど、演劇を始めたきっかけをお伺いしてます。



“一番初めは「金田一少年の事件簿」が一番大好きやったんですよ”


松森:えっとー…一番はじめにやりはじめたのは、地元が大阪なんやけど、高校の文化祭で…3年生の、うちの学校は体育祭と文化祭を一緒にやる、「西高祭」っていうメインのでっかいお祭りが毎年1回あって、それで毎年演劇の部っていうのもあって、それで誰か3年生が作演出をして、1、2、3年で座組作って、演劇やるっていうのが毎年あるんですけど、俺も3年のときにちょっとやってみたくて演劇やって。


大石:1、2、3年で1座組、で、作演出ですか。すごい。


松森:そう、それでドラえもんやったんやけど。その時は…ドラえもんをリメイク…リメイクじゃないけどやって、それで初めて演劇に触れたって感じですかね。演劇部とかでは全くなかったんすけど。それがうん、楽しかったっていう。そこまで演劇とか全くやったことなかったけど、その文化祭で初めてやって。

でも、それから全然関係なく沖縄の大学へ行って、沖縄でずっとレゲエやってて、その間も演劇はやってなくて…。それで、ああ、それもまた大学4年の学園祭で。なんかやりたくて。でも映画とかはちょっと大変じゃない、カメラとか編集とか。それで、演劇やったら脚本書いて人呼べばできると思ってやって…そこまで2回しかやってないな。で、そのあとに東京来て、ENBUゼミナール入って、デーモンズ立ち上げって感じですね。


大石:え、演劇やりに東京来たんですか?それとも単純に大学卒業したから?


松森:あでも確かに演劇やりにっていう感じかもしれへんな。もともとお母さんが東京の人やから。板橋区出身なんで…よく東京には来てたんですけど。

でも沖縄から、東京行ったんは芝居やりたくてって…わけじゃないけど、ENBU入るためにっていう感じで、来た…かな。


大石:ENBUに入ったのに何か理由はあったんですか。


松森:なんでやったんだろう。


大石:わりと流れで、見つけたからみたいな?


松森:それはでもなんかさ。ENBUって何か…拒まずやんか。お金があれば誰でも入れるっていう感じで、しかも高くなかったから。試験とかもないしさ。それでちょっとお金、そんな高くないけど準備できたから、誰でも入れる所に入ったって感じやったんですかね。あと本谷有希子さんの作品も好きだったってのもあるかな。


大石:なるほど。いまこのあと、影響を受けたものとか好きなものとかを聞いてるんですけど、それはもう音楽とかになるんですかね。


松森:音楽…音楽も好き。レゲエとヒップホップは中学高校と大好きやって音楽はすごい好きやし、映画も好きやし。本も…あ、やっぱね、なんかね別にその何かどうしようもない話…でもないんですけど。これ本当にルーツの話になるんですけど、一番初めは「金田一少年の事件簿」が一番大好きやったんですよ。


大石:えーーーマンガのほう!?


松森:マンガの方。の金田一少年の事件簿がめちゃくちゃ…でもそれも辿っていけば元々はドラマの金田一少年の事件簿が好きやったからなんですけど、堂本剛の時代の。でもその堂本剛の時代の金田一って堤幸彦がまだほんまに…若手ではないけど、まだイケイケだった頃の作品ていうか。それが大好きやって、でマンガに行ってんけど…おばあちゃんが岡山なんですけど、金田一耕助って岡山出身なんすよ。

でも金田一耕助と金田一一…金田一少年は違うんですけど全然(笑)一応おじいちゃんって設定だけで。でもおばあちゃんに、岡山に帰った時に、おばあちゃんに「お土産で何が欲しい?」って言われたときに、金田一の本って言ったらおばあちゃんが古本屋さんで金田一少年の事件簿の全巻セット買ってきてくれて。


大石:すごっ。


松森:そこから金田一少年にガチハマリして、だからずっと…変な言い方になっちゃうけど、殺人事件のことばっかりずっと考える感じになって。


大石:なるほど。


松森:でもそういう人殺したりとかそういうことじゃなくて、何かそういう殺人事件モノみたいな、怪盗で怪人みたいなトリック作ってみたいなことを大好きになって、っていうか。だからなでもな、それが一時期ちょっとピークまでヤバイところまでいったときがあって。

その…何て言うんかな。殺人事件の絵とかを、自分で「●●殺人事件」みたいなの作って、描くところまで行ってたやんか。…ヤバイなこれ。いやでもこういうこと喋っても大丈夫やんなこれ。


大石:大丈夫ですよ。私も結構ミステリーハマりましたよやっぱり怪盗とか。


松森:やっぱ憧れるやんな。憧れるっていうか、やっぱそっちに行く人は行くやんか。完全に裏野球とかサッカーとかじゃなかったから全然。でなんか、小学何年生みたいな雑誌あるやんか。昔…今もあるけど。ごめんな、昼寝さんなんか俺ばっかり喋って。


佐藤:初耳な話が多くて面白いですね。


松森:なんかあったらツッコんでな…。で、そういう雑誌があって、それに夢の給食を送ろうってコーナーがあって。給食の絵…例えば雲の給食っていうのがあったら、ふわふわの雲でできてるもので、できたできた給食とか、動物たちの給食だったら森の動物たちが作ったかわいい給食みたいなのを葉書で書いて投稿して採用されたらおっきく載るみたいなコーナーがあって。そういうのに結構投稿するの好きやったからいろんなのに投稿してたんですけど。その給食のシリーズがあったときに「地獄の給食」みたいなを書いて


大石:おっ


松森:ほんとにね。首のステーキみたいなんとか。髪の毛の血まみれのスパゲッティーみたいなんとかそういう結構なやつを書いて送ろうとして机の上に置いてたんですよ自分の。小学校の頃の家のね。

そしたらやっぱりそれを見たお父さんとお母さんが。「ちょっとこれやばいかも」って多分思って。そんでその…当時って少年Aとか、神戸の事件とかが起きたころやったから、やっぱ自分も、もしかしてそういうやばいんかなっていうのを思ったりして。親にも別に怒られたりとかじゃなく、ちょっとなんか心配されそうな感じで、そのへんの空気感はすごい伝わってきて、こういうことって考えたらあかんねやって自分の中で思って、一気にそこから遠ざかったんですよそういう、いわゆるもしかしたらアングラっぽいことから。神戸の事件とかがアングラっていうわけじゃなくて、それはもう犯罪なんですけど。今の自分の知識から言うと、そういうサブカルみたいなこととか、露悪主義みたいなそういうジャンルから一気に、「これってよくないことなんやなー」って思って遠ざかって。中学、高校と割とほんまにさわやかな人間になろうと思って。結構そっち路線をがんばったんですよね。だから陸上部キャプテンやったりとか中学のとき。


大石:すごい。


松森:高校もずっと陸上部やって、なんていうかそういうところからは、なるべく距離を置いて生きていってたはずなんですよね。そうやねんけど、昔からキャラ考えたりとかお話考えたりは好きで、家でずっと自由帳に絵描いてるような小学生やったから、そういうのがあって。でたぶん文化祭の最後にじゃあ何やろうってなったときに演劇やろうってなって、そこで初めて演劇やるんですけど…これ続けても大丈夫なんすか?(笑)


大石:けっこう長くなってるけど…1回聞いてみようかな。



『園っ、』舞台写真



“そもそも封じ込めてた部分みたいなのにちょっとずつ救われて”


松森:今ので第一章って感じで、


大石:あと何章あります?


松森:第三章まである。


大石:…ちょっとキュっとしながら、でもいったん聴いてみたいですね。


松森:でも、それで結果を、中高とわりと爽やかに過ごして、沖縄行くところまでは行くんですよ。大学は、沖縄へ遊びに行きたかった。っていうのも大きいねんけど、沖縄の大学へ行って、で、沖縄の大学で普通にレゲエで遊び始めるねんけど。いろいろあって。2年か3年のクリスマスの夜なんですけど、忘れもしない24日なんですけど。ちょっといろいろあって、完全に自分の心の中のコップが溢れた瞬間があって。でもそっからバーンってなって、自律神経がほんまにグラグラになって、ちょっと病院通ったりした時期があって。で、そこから一気に何もできなくなったって感じで。音楽もそこまですごい楽しんでやってたけど、それもできなくなったり。いろんなことができなくなった…ときに、また本を読み始めた、とか、映画もちょっとずつ観始めたんですけど、それがやっぱり自分の中で一番、そもそも封じ込めてた部分みたいなのにちょっとずつ救われていくことでなんか、自分が…立ち直ってはないんですけど、でもなんか、「ここからならまたできる」みたいなのが、そっから、本読み始めたりとか絵をまたちょっと描き始めたりとか。がつながって、沖縄の最後のときに演劇をやって、どうせ死ぬんやったら好きなことやりたいなーで、東京のENBUゼミに入ったって感じですかね。


大石:なるほど。その大学でやった演劇はけっこう今の感じに近かったんですか?


松森:どうやろ、それも演劇部とかでもないし、演劇なんて高校の文化祭でやっただけの人やったから…学校の変な人ばっかり集めてやったんですけど(笑)稽古とかちゃんとやったことないし、変な友達ばっかり誘ってるからさ。明日本番みたいな感じやったのに出演者15人ぐらいおるうちの2人ぐらいしか来おへんかって稽古に。どうなるん?みたいな感じやったけど。でもそれは1回目台風で流れて文化祭が。その振替でやった文化祭のときにはみんな来てくれて、っていう感じやったけど…でも確かにデーモンズっぽい感じには…どうやったんだろうね。でも変な芝居を作ってたって感じやったそんときも。

でもどっちの文化祭でやったんもすごい楽しかったって言う記憶があります。それがほんま、ルーツって感じです。


大石:なるほど、ありがとうございます。それでENBUではえぎわに出会って、って感じですか?


松森:そうそうそう、ENBU入って、ノゾエさんのことはもちろん、雑誌とかでしか知らんかったっていうレベル。ENBU行くってなってノゾエさんの名前調べて、ぐらいの感じで…。でもそれで、1年間の総まとめの卒業公演の演出がはえぎわのノゾエ征爾さんで、そのままはえぎわのお手伝いをお願いしてさせてもらってて、3.4年ぐらい演出助手でお手伝いさせてもらってるて、ほんまに勉強させてもらったり、いろんな人と繋げてもらって、それこそこないだの岸田戯曲賞とったぱぷりかの福名さんも、演助仲間の時があったり、ノミネートされてた笠木泉さんとかもはえぎわの常連で出演されてたときがあったりして、すごいお世話になったり…そういうところで縁を作ってもらったっていうのはありましたね。



“今、謎に一場が2つあるみたいな状況です”


大石:ありがとうございます。中野坂上デーモンズ、最初はモヘーさん1人で始められたと思うんですけど、最近劇団員さんが増えたじゃないですか、そのあたりのお話を聞かせてもらえればなと。昼寝さんもいらっしゃるし。


松森:劇団、劇団ってなったのいつやっけ昼寝…?


佐藤:「回る」の中止のあとの再演が中止になって、やるときだか、終わったあとだかに中尾さんと安藤さんに声かけたって言ってました。


松森:だから2020年やんね。


佐藤:ちょうどコロナ禍始まったかなの頃だったんで、多分20年です。


松森:だから8年ぐらいは個人ユニットみたいな感じで、中野坂上デーモンズの憂鬱でやってたんですけど、やっぱりコロナ入って、特にしんどいっていうか、一人じゃもう無理やなってなった、のは合ったけど、でも確かにそれはなんでかっていうのを考えると…。それこそこの間みんなで稽古しようって言っていた地域センターが、20年の佐藤佐吉祭でやる予定だった「園っ、」の中止をみんなで決めた地域センターと同じ部屋やってすごい思い出したんやけど、その日に中止にして自分たちもコロナで演劇中止って初めてやって結構ワーってなってた日に中尾ちゃんと喋って。中尾ちゃんは、2017年にはじめて王子小劇場でやった「園っ、」が初参加で、そっからもうデーモンズには欠かせないメンバーっていう感じでやってきてて。ほんまその日に、ちょっと今後のやり方どうしようって話を2人でして、お互いちょっと劇団ていうことを考えてた。っていう話になって…だから言うたら2020年に佐藤佐吉演劇祭が中止になったっていうことがきっかけで、そこから劇団をやってみようっていう話になって。


大石:そうだったんですね。


松森:そこから安藤ちゃんとか昼寝さんに、ひと月ふた月ずつずれてぐらいで相談していきつつ…。だからはじめは、中止になったことがやっぱでかかったって感じかなと思いますね。


大石:昼寝さんはどうしてお誘いになったんですか?


松森:いきなり俺から連絡してって感じやった?


佐藤:劇団員に誘われた時ですか?その時はいきなり…っていうかあの急に「喫茶店に行かない?」みたいな。


松森:(笑)阿佐ヶ谷の祇園行った時か。呼んで…頼りになるんですよ。昼飯さんはほんとに。でもそのへんを感じ始めたんもやっぱりコロナ禍で演劇やっていくってなったときに、中尾ちゃんと一緒に二人で、周りにいる人達を見る気持ちが何か変わったっていうので、昼寝さんって頼りになるよねとか、安藤ってすごいいいよねって言うので誘ったって感じでしたね。


大石:ありがとうございます。さて、じゃあ今回の話を聞きつつ、脚本について聞いていきたいんですけど…今回は「メタバース」をいろいろツイッターを拝見したんですけど、安心して狂いなさいはどういう感じのお話でしょうか。


松森:ちょっと俯瞰して昼寝さんが、どういう話?とかどういう芝居って言われると、うん、何て答えれるんって感じ…?現状、素直に話すと、脚本があるかないかって言われると、ちょっと微妙みたいな状況ではある。


大石:(笑)昼寝さん、どうですか?


佐藤:今、謎に一場が2つあるみたいな状況です。どっちへ行くのか、両方行くのかみたいなところですね。


大石:一場が2つある!


松森:でもこのシステムは最近あるやんな。前の「死んだと思う」やったときも、3つくらい設定作って、それは劇団員4人でやったから、それをみんなにやってもらったり、読んでもらったりで、この3つからどれがいいと思う?みたいな感じをやってたもんな。



『死んだと思う』フライヤー




“青春群像劇を書き切りたい、作り切りたいっていう気持ちがもう、すごい”

大石:なるほど。最近は…あっ視聴者の方に説明すると、私、デーモンズの舞台監督に何回か付いたことがあって、最近はそうやって複数の世界がまずあって、何かをどういうふうに作っていくか?みたいな…?


松森:ホンマあれやねんけど、何て言うか、晟雄ちゃんにはじめてついてもらったのが2017年の「園っ、」で、そこからの1年間ぐらいの作品って、自分の中で…何かすごく「脚本を書く」っていうことに対して、すごい謎の執着心があった時代にあって。「園っ、」とか、その次の「閃光っ」っていう芝居とかを書いたときって、もうめちゃくちゃ…どういう状態だったのか今わからんぐらい「書く」っていうことにものすごい執着してたっていうか。書き始めたら脚本160ページまで書かないと終わらんってのが結構いつもの状態で、そこからやっぱりカラカラになって、もうちょっと今度は演劇の脚本ってよりか、「演劇自体とは何か」みたいな。もっと何もない状態から何が生まれてくるのかみたいな方にどんどん行ったじゃないですか。それで、2021年のスズナリも晟雄ちゃんについてもらって。あの芝居をやったときに、もう多分これはもう何も出て来おへんし、って言うか、自分のクオリティみたいなのが下がっていってるっていう感じをすごい思って。

あのへんの作品はすごい楽しいやりがいあったっていうのもたくさんあったけど、でも自分としては何か、ちょっとこれはもうカラカラすぎて、見るに堪えない、かもしれないみたいな気持ちになって。

今年は、あの「園っ、」とかああいう、力が入ってた…?あの頃の作品をもう一回作りたいっていうのが結構自分の中にテーマとしてあって。だからとにかく地盤を作りつつやっていくみたいなことを今やろうとしてます。


大石:これはあれですね、今回の話を聞くときには、多分モヘーさんが今興味があることを聞けばいいのかなって思ったんですけど、どうなんだろう。


松森:うーん。なんか、自分からオリジナリティーがあるものが生まれると思わなくなったんですよ。そういうおこがましいこと考えるんもう無理やなっていうのを去年時点で気づいてて…気づいててっていうか、そもそも、今後どれだけやっていけるかわからないぐらいの才能しかないっていうのはやっぱりあるんですけど、その中でも、誰も見たことがないものを作ろうっていうことを思い続けた10年だったんですけど…それ、それに翻弄されすぎて、そのせいで全然いろんなことが上手くいかなかったっていうか。何か…そこにばっかり「見たことないもの」ってところに行きすぎて、違う方向に力が入りすぎてたっていうのが、ここ10年の振り返りで、だから今は割ともう…別に見たことあるものだろうが自分がやってみたいと思うことをやったら、少しは自分の色が出るんじゃないかっていう風に考えていて、今は群像劇がやりたいっていう。「園っ、」みたいな作品、「園っ、」がやりたいわけじゃないんですけど、みたいな作品をもう一回作りたいっていうか。あの芝居を今まで何回もやろうと思ったけど、どうしてもできなかったんで最後まで。だからやっぱり青春群像劇を書きたい。で、それは俺の中で「アイスクリームマン(岩松了)」で、それも王子でやった作品やけど、自分の言葉の、自分のアイスクリームマンがやりたいとか、自分の「園っ、」がもう一回やりたいっていうのがすごいあるから、そこが一番…やりたいことっていうのがそこかな。っていう感じですね。どう?昼寝さんはそれを感じる?


昼寝:ああ…何か、いい意味でいろんなものを取り戻す一年になるのかなみたいな感じです。前回(死んだと思う)だったら、モヘーさんアフタートークで言ってたのは、「間を覚えたよ」みたいな。

今回ももしかしたらそういう普遍的な何かがデーモンズ付いて、また化学変化を起こしてくみたいなことが起きたらいいなとは思ってます。


大石:間を覚えたんですか?


松森:いやいや、なんか今までは「間」のこと全然信頼してなかったというか。どれだけ無くせばいいかっていうことを考えて演劇作ってたけど。こないだの1月やった「死んだと思う」で、「間」ってこういう感じであっていいんやみたいなことをはじめて感じた、っていう感じでした。成長したやろ?


大石:いや俺が言うのもあれだと思いますけど、ええと、変化ですかね?進化かな?ちなみに、脚本っていつも、どういうところから着想を得てるんですか?


『アイスクリームマン』フライヤー


松森:最近は…むしろみんなどういう風に脚本書いてるんかなって。時期が自分の中でいろいろあるんですけど、コロナ禍になった2年とか、そのちょっと前からは…言うたら何もない素舞台から何が生まれてくるのかみたいな。これは物語っていう言葉ではなく、何か演劇、演劇そのものの何かみたいなことを結構考えてたんで、そういうのは言うたら、脚本としても何もないゼロの状態から何かが立ち上がってくるものを積み上げていくみたいな感じで思ってたんですけど、今はやっぱりある程度設定とか、役の名前とか、役のプロフィールとかを作って、ガチガチに固めた上でその中で何が起きるかみたいなのを、「園っ、」の時とかはやってたんですよ。で、また今そこにちょっと戻ろうとしてる…って感じ…でも、その中で、何かここのアイデアはいけるみたいなのが思いついたら書けるねんけど、っていう感じ。

逆に晟雄ちゃんはどうなん?テーマ、テーマみたいなのって書く?例えば何かの話したいってなったら


大石:私は…その、でも最終的に脚本を書いてるときは私は、何が書きたいの?っていうのをやっぱをどんどん突き詰めていくみたいな作業になるから、テーマはすごくざっくりしたこと決めますね。何の話、くらいの。まあまあ、私の話はいいです!今回の話の推しポイントというか面白ポイントみたいなのがもしもちょっとでもあれば聞きたいんですけど…


佐藤:でも、モヘーさんがいつも悩んでると、悩めば悩むほど面白い作品になるなとは思ってるので、結構かなり悩んでるので。今回も面白いかなとは。そこは心配してないんですけど。やっぱり今回は、20人も役者さんが居て、稽古場いるだけでもかなり面白いみたいな状況であるので、今何で来てもこの役者さんなら大丈夫なのではないかとは思ってます。


松森:本当にいい役者さんばっかりなんで、自分も大好きな役者さんだし、一緒に集まってみて、思ってた以上にみんなでそのハーモニーみたいなのがすごい良いんで、たぶんそういう人たちが行き交っているだけで、楽しんでもらえる感じになるんじゃないかなと思います。


大石:そうですよね、っていうか、中野坂上デーモンズの青春群像劇って、あのメンバーっていうだけでかなり惹かれるというか、


松森:素材は完全に揃ってるっていう感じで、あとはもう自分がちゃんとできるかっていう。ざっくりあらすじ言うとどんな感じなん?昼寝さん。見どころと…


佐藤:現時点でのみどころは…でも一場だと、いろんな人が出ては去って、色んなことが同時に怒ったりとか、そういう意味ではあっという間に一場終わっちゃったみたいな感じになります。


大石:「園っ、」っぽいですね。やっぱり会場が広いじゃないですか。


松森:あの作品で俺たちもいろんな人に知ってもらえたっていうのあったし、やっててもなんて言うか…自分たちが作ったもの以上に、謎の作品の魔力みたいなのに自分たちが引っ張っていかれる感じがあって。で、でもあの頃のむちゃくちゃなことがしたいってわけではなくて。今は今のやり方があるってもちろん思ってるんで、だから別にそんな…カオスなものができるかどうかとか、そういうのはあんまりわかんない。「園っ、」っていったら、グチュッとした台風みたいなものだったじゃないですか。でも、「今」自分が確かにああいう作品を作るとどういう風に仕上がるのかな。っていう面を…確かめるっていうか。青春群像劇を書き切りたい、作り切りたいっていう気持ちがもう、すごい。


大石:楽しみになってきた。最後に、演劇を作るときに一番大事にしてることみたいなのを聞いてるんですけど、とか心躍る瞬間とか。先に昼寝さんからお伺いできれば。


佐藤:僕はそうですね。舞台上に立ってるときに、次のセリフのことを考えなくなったとき、それで別に不安にならなかったりとかそういう瞬間って、やってよかったなと思います。


大石:モヘーさんはどうですか?


松森:最近考えてることっていう感じになるんですけど、こないだの1月にやっぱ劇団員4人でやった「死んだと思う」で、やっぱり4人で徹底的ずっと稽古して、4人で作った空気があったから、なんて言うかもう別にここセリフしゃべってなくても?何しゃべってもセリフになるんじゃないみたいな瞬間が結構あったりしたっていうか。それって何かやってる側からすると結構刺激的な時間やって。

それって自分の中では嘘と本当がないようなものにしたいな、っていうのをずっと思ってて、っていう。最近は大切にしてる瞬間みたいなので、何を観ても本当に見えるみたいなものを作るというか。それって究極かもしれへんけど。でも自分たちの言うたらちょっと変な話とか変な戯曲やけど、それが本物であるように観たいって。めちゃくちゃ演劇の根源的な部分かもしれへんけど。それにやっぱ今年はすごく興味があって、それを考えてるっていう感じは確かにします。そう見えたらいいなって思って、お芝居やけど。っていう感じで思ってますね。


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