"Roots/vol.6"『劇団 短距離男道ミサイル』ーーーその看板だけが煌々と暗闇の中で光っていて。 なんか「すごいな」と思ったんですよね。何を頑張ったらいいのかわかんないけど、僕は頑張らないといけないな、って思って。

佐藤佐吉演劇祭2022、参加団体のこれまでとこれからをお伺いし、できれば歴史をアーカイブしていくインタビュー企画"Roots"が始まっております!

いままでのRootsはこちら

今回は、3/31より初日の劇団 短距離男道ミサイルの代表、本田椋さんとのインタビュー配信の、抜粋書き起こしです!


本田椋
俳優。劇団 短距離男道ミサイル 代表。1990年9月17日、越後長岡に生まれる。港町新潟で育つ。新潟県立新潟高等学校、東北大学理学部物理学科卒。 東北を代表する若手舞台俳優として、舞台のみならず、ダンス公演や音楽、ラジオドラマ、MCなど活躍の場を広げている。近年は俳優業のほか、ワークショップや専門学校での指導、趣味である中国拳法の愛好会を主宰するなど多岐に渡る活動を展開。
利賀演劇人コンクール2019にて「存在感ある演技」が評価され、俳優として奨励賞を受賞。
2019年以降、劇団 短距離男道ミサイル全ての作品の作・演出を手掛けている。(公式HPより抜粋)

 

2011年4月、東日本大震災直後に「仙台、東北、そして日本を笑顔にしたい」という想いの元、仙台の若手男性俳優(当時)によって結成された劇団。
東北の風土・歴史を下敷きに、男達の生命力から繰り出される瞬発力・爆発力を用いて、地ビールならぬ”地演劇“を届ける。その特異なスタイルによって生み出される作品群は、“テンションとエモーションにおいて世界レベル”と評される。 全国規模で活動を展開しながらも、地域のアウトリーチ事業にも積極的に取り組む。学校や児童館への芸術家派遣事業、文化施設と連携したコラボパフォーマンス、音楽ライブや地元のお祭りといったあらゆるジャンルのフェスティバルへ出演するなど、その活動は多岐に渡る。 
<受賞歴>
2017年6月 CoRich舞台芸術まつり!2017春『母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ』グランプリを受賞。
2018年3月 若手演出家コンクール2017『走れタカシ~僕が福島まで走った理由(わけ)~』最優秀賞・観客賞をW受賞。(公式HPより抜粋)

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大石:それでは、演劇祭2022のインタビュー企画、Rootsの第6弾ということで、劇団短距離男道ミサイルの本田椋さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
まずは本田さんの自己紹介を簡単にしていただけますでしょうか。

本田:はい、本田椋と言います。劇団短距離男道ミサイルの代表で、作演出を2019年から行っています。普段は舞台俳優をメインに活動しております。

大石:演劇を始めたきっかけ、っていうのを皆さんにお伺いしてるんですけど、本田さんの場合はどんなきっかけで演劇を始められたんですか。

本田:僕は大学から演劇を始めたんですけど。

大石:東北大学ですよね。

本田:そうですね。で、きっかけはほんとにテレビ番組で舞台を見て、面白そうだなって思ったのがきっかけで。大学へ入ったら演劇部に入ってみようかなと思って、
入学式の日に入部して、いろいろ出てハマってしまって、今に至りますね。

大石:そのテレビ番組っていうのは、何を観たんですか?

本田:当時、NHKで劇場への招待っていう番組があって、毎週、舞台の映像を流していたんですよね。それを観るようになって。

大石:なるほど。じゃあ何かの特定の劇団っていうよりは、その毎週の番組で毎回観て、みたいな。
その前の高校生とかは、どんな高校時代だったんでしょうか?

本田:高校時代はテニス部でしたね。もうずっと体育会系で、スポーツばっかりやってましたね。

大石:すごいそんな、じゃあそのNHKの映像がいろんな影響を与えたんですね。

本田:そうですね。NHKがなければ、今ここにいないですね(笑)

大石:今の自分の…例えば創作において影響を受けたものとか、あとすごい昔から好きな漫画とか、何かそういう影響を受けたものがあったらお伺いしたいんですけど、自分のバイブルみたいなものとか。

本田:うーん悩ましい質問ですね…
舞台でいうと、逆に演劇じゃないんですけど。大野一雄さんとか、ピナ・バウシュさんとかそういった方はすごく好きで、学生時代によく観てましたね。

大石:踊りとか、舞踏とか。そういう系統の舞台がすごく好きだったんですか?

本田:最初はそうでもなかったんですけど(笑)NHKで観られるようなものを見てたんですけど、すごくその演劇部が…コアな人が多くて、
そこでいろんなものに出会って、それで、舞踏の人を呼んでワークショップしていただいたりとか、身体表現に出会って、
なのですごくダンスとかも、たまに自分が出させていただくこともありますけど、すごく好きで。お芝居に限らず舞台全般が好きですね。

大石:なるほど。物理学科卒っていうふうにホームページで書かれていて、あのー…いろんな趣味があるんだな、というふうにお見受けしてて。
中国拳法とか、あと特技が物理学、とか、居合、とか、ピアノ、ギターとか…昔からやられてたんですか?

本田:ピアノはちっちゃい頃に習い事として習っていて、居合道は、模造刀をつかって演武をするっていう武道なんですけど、それは学生時代に演劇と一緒に始めて、学生時代の間だけやってましたね。
中国拳法は今一生懸命に道場に通って練習してますね。

大石:ワークショップとかされてますよね。。

本田:自分で習うのと、あと自分の愛好会を作って稽古したりもしてますね。

「やりたかったのは哲学だったんだなと思って(笑)」

大石:結構私、演劇の人って…偏見ですけど、文系の人が多いイメージがあって。

本田:ああー…そうですよね。普通そうですよね(笑)

大石:そのご自身で演劇をやってて、そういうこと感じたことありますか?自分が理系っぽい考え方で演劇を作ってるな。とか。

本田:でもどこかにあるかもしれないですね。何か物理を勉強していたのも、その…宇宙、とか、自分の存在って何なんだろうっていう疑問はすごくあって、そういったことを勉強できたらいいなと思って物理学を専攻していたので、
お芝居を作るときもこれってどういうことなんだろうとか、人間ってどういう存在なんだろうっていうのは…
僕の中ではすごくそれはつながってるのかもしれないんですけど、物理学と。そんなことを考えながら作っているところはあるかもしれないですね。

大石:面白い。それってなんの前情報情報もなくて聞いてると、哲学みたいな感じの気持ちにもなってくるし。

本田:そうなんですよ、ホント。やりたかったのは哲学だったんだなと思って(笑)入る場所を間違えたなって思ったんですよね。

大石:でもいろんなアプローチがあるのは面白い気がします。これは…これも偏見なんですけど、いろんな演目をちょっと調べさせていただいたり、見させていただいたり。動画で知っていく中で、どんな人がこれを作っているんだろうなってすごく思ってて(笑)
今この会話をしている方が、舞台上で…あれですね。今ここで言っていいのかわからないみたいな、裸で祀りあげられて…みたいな舞台を見ていたので、今ギャップにすごく驚いています。

本田:よく言われるんですよ。なんかもう、毎晩飲み明かして、すぐに脱ぐみたいなイメージが…(笑)案外、静かに粛々と稽古してますね。

大石:これだけですごい私、面白いです。

劇団公式Twitterより

「ミサイルを続けていきたいよね」っていう方向に

大石:では、団体の成り立ちの方に行かせていただきたいんですけど、2011年の震災をきっかけに作られた団体、という風にお伺いしているんですが、団体についてお伺いしてもいいですか?

本田:そうですね、2011年の東日本大震災の直後、4月に結成したチームで、僕は2作目から参加だったので、その当時はお客さんとして見てたんですけど。
当時、C.T.T.sendaiという団体があって、コンテンポラリーシアタートレーニング、の略でCTTなんですけど、各地に結構ネットワークがあって、30分ぐらいの短編作品を、実験的に上演してみる場を作ろうよ、っていう団体で。
すごくライトにいろんな団体が短編作品を試せる場っていうのがあって、そのチームが震災直後に、「支援会」と名前を変えて、劇場も空いてなかったので、知り合いのモダンバレエスタジオのアトリエをお借りして、
そこで有志で上演して、その入場料を寄付しようという企画が出て。地元の仙台の劇団とか名古屋から来てくださる方とかもいて、そのスタジオのバレエ作品のとかも上演していく中で、
なんか…短距離男道ミサイルという、変なチームが生まれてしまった、という経緯ですね(笑)

大石:2019年に体制が変わったそうですが、どういうきっかけで新しい体制になられたんでしょうか?

本田:そうですね、澤野正樹という、僕の演劇部の3つ上の先輩なんですけど、
ずっと一緒に演劇を作ってて、短距離男道ミサイルも、当初澤野と、あと当時Theatre Group“OCT/PASS”という老舗の劇団が仙台にありまして、そこの荒野(あれの)さんという俳優さんの2人が中心となって立ち上げて。
で、多分こんなに長く続くとは思ってなくて(笑)短距離男道ミサイルっていう名前をつけてしまったんですけど…で、いろんな仲間が増えたりとか、応援してくださる方も全国にたくさんいて、嬉しいことに活動を続けてこれていて、
ただ、2019年に澤野が色んな事情で演劇から1回離れるという決断をしまして。

通常その普通の劇団だと、やっぱり作、演出家っていうのが中心にあって、チームがその人のまわりに集まってくるもの、だと思うんですけど…
僕たちもやっぱりこの活動を続けていくのか、劇団を続けていくのか、っていう話し合いをすごく重ねたんですけど…震災があって、演出家とか作家の周りに人が集まるっていうことではなくて、
震災というものが中心にあって、何かできることないかなっていうので集まったメンバーだったので、そこに立ち返ろう、ということになりまして。
「ミサイルを続けていきたいよね」っていう方向に話が変わって。で、今いるメンバー、思いのあるメンバーで続けていこう、ってなって、「誰が演出するんだ」ってなったときに…
なし崩し的に。私が担当することになりまして、2019年以降、僕がやらせていただいているという感じですね。

大石:なるほどですね〜そこから脚本を書き始めたんですよね…そこから、書き始めたところで…書けました?

本田:いや、もう最初は全然。まあ今も非常に苦しみながら書いているんですけど…
もともと澤野と僕が、構成演劇っていうスタイルで作品を作っていた時期があって。台本が最初になくて、俳優たちが集まってショートシーンを作っていって、それをコラージュして一本の作品にするっていう手法で作っていたところがあったので、
僕も最初は全部しっかりとした台本を書くというのではなくて、プロットだけ持ってきて、チームで、みんなで作ってみるって方法で始めた…始め直したっていうんですかね。

大石:稽古の進行としては骨があって、そこに俳優さんきて、エチュードとかで進めるみたいなものですかね。

本田:そうですね、エチュードで作ってみたり、あるいは何かお任せして、俳優さんに作ってきてもらったりとかしながら作っていって。
でもだんだんと僕も書きたい欲求みたいなのが出てきて。なので、今回の作品はそう言う方法ではなく、脚本を書いてそれをみんなでやってみるという形で進んでいますね。

大石:なるほど〜!プロットとか箱書きとかっていうのはどういう順番で書かれるんですか。

本田:最初に僕たち、何を題材にしようかってのいつもみんなで話し合っているんですよね。
やっぱり東北の劇団、「東北でしか作れない作品を作りたい」という思いがあって、東北だからできる題材、っていうのをみんなで話し合って、じゃこれを今度やってみようよ、となって、それがあってから書き始めるって感じですね。
前回は阿弖流爲(劇団 短距離男道ミサイル 36発目 ​​​​​​​みちのく超人伝説(ミチノクヒロイックサーガ)北天鬼神譚アクロオー阿弖流爲Z ~Episode Final さらば愛しき人よ~ )っていう、
古代東北の、みちのくの蝦夷を題材にして台本を書いたんですけど、前回は古代を舞台にしたので、今回は現代もしくは未来を描いてみたいなと思って、気づいたらUFOになってました(笑)



大石:これ、関係があったかお伺いしたかったんですけど、「Ultimate Fancy Ojisan」の中に、「Oji(王子)」が入ってるじゃないですか、これは狙ったんですか…?

本田:ああ!それは狙ってなかったです!!気づかなかったですそれ。

大石:あっ言わなきゃよかった!

本田:あっでもそれいいですね。そういうことにします(笑)

“看板だけが煌々と暗闇の中で光っていた”

大石:脚本のこともう少しお伺いしたいんですけど、行き詰まった時ってどうしますか?

本田:行き詰まった時…もともと結構僕、資料とか本を読んで書き始めるんですけど、その資料に立ち返るとか、例えば舞台になる場所に足を運んでみる。とか言うことをしたりしますね。あとはやっぱり劇団員とか、メンバーに相談するっていうのをやりますね。

大石:ありがとうございます、今回のUFOにお話を移したいんですけど、今回、現代、未来のみちのく、ということなんですが、もうちょっと今回の題材というか、今回のお話について、お伺いしてもいいですか。

本田:今回その…書いていくうちに気づいたんですけど、その書きたかったことの核として、僕が2019年に出会ったおじいさんがいまして。
その方が石巻っていう、仙台市から車で1時間ぐらいの沿岸部の、港町なんですけど、そこで出会ったおじいさんがいまして。
僕がその石巻でちょっと知人と遊んでいて終電を逃してしまいまして。石巻駅の前で朝を待っていたんですけど。秋で、すごい寒い日で。
すごいつらいなと思いながら朝を待ってたんですけど、おじいさんが同じように駅前にいてずっとうろうろしてまして。
「どうしたのかな」と思って声をかけてみたんですけど、その方が、「40年ぶりに故郷の石巻に帰ってきた」っていう風におっしゃっていて。
「明日から生活保護を受けながら、残りの人生を石巻で過ごしたいんだ」っていう風におっしゃっていて…。

最初に、浜が見たい、っていう風におっしゃってたんですね。で、行き方がわかんないから道を教えてくれ、っておっしゃって。
で、朝まで特に電車を待つ以外にやることがないので、「じゃあ、僕がご案内しますよ」っていうので、一緒に海まで歩いたんですね。
で、その…すごくちょっともう、結構なおじいちゃんで。はい、足が少し良くなくて。ちょっと歩くと疲れちゃうみたいな感じで。
海までも、すごくアップダウンがありまして。1時間以上かけて、ゆっくりゆっくり海まで一緒に歩いていて、そのおじいさんの半生を聞きながら海まで歩いていたんですけど、
その南浜っていう海岸があって、今、復興の工事ですごくきれいになってはいるんですけど、住宅街が全部流されてしまっていて、もう本当に何もない、っていう感じなんですよね。

そこにおじいさんと一緒に行ったときに、ものすごく真っ暗で、風も強くて寒くて、何も見えなくて。
そのときのおじいさんが…なんて言うんですかね。もう言葉を失っていて。
「何も見えないね」「寒いね」「何もないね…」って感じになってしまっていて。僕ももうその時に何も言葉をかけることができなくて、
で、そんな中に『がんばろう石巻』っていう看板があるんですけど、ちょっと検索すると出てくる有名な看板で、
その看板だけが煌々と暗闇の中で光っていて。

なんか「すごいな」と思ったんですよね。何を頑張ったらいいのかわかんないけど、僕は頑張らないといけないな、って思って。
で。ある意味今思い返すと、それがUFOいうか、よくわからない謎の存在みたいな感じに…僕にはその看板が…見えたんですよね。

大石:なるほど。

本田:で、あのときはお爺さんに、何も言葉をかけられなかったんですけど、何かその…代わりと言ったらなんなんですけど、この舞台で、その時に…かける、かけたかった言葉っていうのを書いてみようっていう風に思って、
書いたっていう感じですね。

大石:なるほど。すごい今、私も…なんて何て喋ればいいんだろうって思ってますね…

本田:あ、いや、やってることは、すごくバカバカしいことが8割を占めているんですけど!

大石:あっ、脱ぐは脱ぐんですね!

本田:いつもよりは少なめだと思います、脱衣は。

大石:いつもよりもちょっと演劇に寄っている感じもある…?

本田:そうですねいつもだと会話劇がほぼなくて、終始騒いでいるだけなんですけど、今回は会話をすごく、言葉のやりとりも大切にしながら作品を作っていると思っています。

大石:なるほど。じゃあ、ちょっと今までよりも何か変化した、進化した…変化したですかね。演目になりそうですね!
ざっくりあらすじというか、お話はどういうお話になるんですか?

本田:お話としてはですね、その真っ暗な夜に、UFOを見た。港町の家族が、自分たちは宇宙人だ。という認識に目覚めて、で、悪の宇宙人と戦うというお話になっています…(笑)

大石:やばい、いろんな話がまだ全然繋がってない!

本田:(笑)

大石:でもすごい、もうチラシが来た時からワクワクが止まらなくてですね。早く観たいと思ってます(笑)
今回の注目ポイントというか、見どころというか、そういう部分を教えていただければと思うのですが!

本田:そうですね、東京ではなかなか見られないようなスタイル演劇だと思いますね。東北だから作れるものに仕上がってきたんじゃないかなと思うので。
東北の、海の空気が詰まった作品かなと思うので…そこを感じてもらえたらうれしいですね。

大石:ありがとうございます。すごいいろんなことをはっきり聞けて、とてもスムーズに進行しています。
最後の方の質問になってくるんですが、皆さんにちょっとお伺いしてて、演劇を作るときに大事にしていることとか、ご自身が演劇でこれを観ると心が躍るとか、そういう瞬間ってどういうときにあるのかってことをお伺いしてるんですが、どうでしょう?

本田:そうですね、すごく…素敵だなって思うのは、それは舞台に限らず、なのかもしれないですけど、
人が人を思う時、というか、人のために何か行動をしたりとか、言葉を…言葉を吐くっていうんですかね。そういうときにすごく心が動かされるなと思います。
お芝居で、何かそういう瞬間がすごく好きなんですけど…大事にしていることは…なんでしょう。
なんか、長い目で見ていいもの。晴れやかな気持ちにその人がなれるような作品にしたいな。っていう風には、いつも思ってますね。なかなか難しいんですけど。

大石:長い目、っていうのは見てる瞬間だけではなくて、そのあとの…なんだろう、見た人の人生の時間の中で、みたいな意味で長い目、ってことですかね。

本田:そうですね。そのときはよくわからないとか、受け容れられないようなことでも、あとあとで演劇って、「あのときはすごく嫌だったシーンが、今は何か必要なものだったな」って思えるような作品とかもあったりするので…
もちろん、そのときに何か届くものがあって幸せな気持ちになってもらえたら嬉しいんですけど。
だからあとあと、その人の人生を後押しできるような。あるいは、何か苦しいときとか。に振り返って力をもらえるような作品になったらいいなということを思ってやってますね。

“とはいえ、8割は馬鹿騒ぎなので!!”

大石:なるほど、ありがとうございます。すごい共感できます。と…コメントをいただいてますね。
『震災当時にもそうですが、「がんばろう」というキャッチコピーを見るたびにネガティブな感情が湧いていました』とコメントをいただいています。

本田:それは僕もすごく共感するところがあって、やっぱり「何を頑張ったらいいんだろう」っていうふうに。
頑張らなくちゃいけないなとは思うんですけどね。なかなか難しいところがありますよね。

大石:そうですよね。きっと当事者の方たちもそうだし、我々も…私も、何か先輩で年に何回か石巻周辺で演劇とか、ボランティアをやってる方がいて、1回そのなんだろうな、旅公演じゃないんですけど、一緒に行ってボランティアと公演をするみたいに参加させてもらったことがあるんですけど、あの…流されてしまった学校の前とかに立ち尽くしたとき、本当に何も言えないなと思ったし、今それを思い出しても何をどうしたらいいのかなっていうのはすごい、わからないなって思っちゃうときはありますね。
言葉にするのが怖い、という感じですかね。何か当事者でないっていうこともそうだし。かける言葉が見つからないみたいなこともあるなと思いますね。

本田:そうですね。僕もやっぱり一応仙台にいて、被災したということにはなると思うんですけど、やっぱり沿岸部と仙台市中心部ではかなりのグラデーションがあって、
状況が全く違ったりとかするので、僕もやっぱり、どういう風に言葉にしたらいいんだろうっていうのを未だに悩むところはありますし、
こないだ、つい先日ですけど座組で石巻、実際僕がおじいさんと出会った場所にみんなを連れていって、一緒に海を見たんですけど、その流されてしまった住宅地とか小学校とか、夜の…まだ暗くて、あの街灯も少ない中に、
震災遺構の、小学校がどーんと立っているところとか見ると、やっぱり…言葉が出てこなくなりますね。11年経ったとはいえ。でもなんかその、言葉、言葉っていうことがすごく演劇の強みだなと思うので、そこでやっぱりみんなで考えて、「どういう言葉だったら、なんとか届けられるんだろう」って、それが演劇のいいところかなと思うので、
そこのところにあえて、仙台東北で活動している劇団なので、取り組んでみようかなっていうのが、今回の作品ですかね。

大石:すごく、興味深く聞かせていただきました。


↑劇団公式Twitterより。TWICEチャレンジ、もうご覧になりましたか?

本田:でもとはいえ、8割は馬鹿騒ぎなので!!

大石:そうですよね!いますごく真面目な感じで終わる感じになりましたけど、あのーTikTokでTWICE、躍るチャレンジとかもされてますし、8割は割と、

本田:そうですね、8割はハチャメチャな。

大石:TWICEは踊られるんですか実際(笑)

本田:それは…お楽しみに(笑)

大石:ありがとうございます。いい時間にはなってきたんですけど、好きなものの話でそのまま団体に入っちゃったので、好きな音楽とか、小説とか、本田さんの好きなものを、何個かお伺いしたいなと、最後に。

本田:それこそTWICE好きですね、すごく。

大石:あ、そうなんですね!

本田:今回はファンシーおじさんなので…TWICEのファンシー、踊りたいな。という単純な個人的な思いで、させていただいています。

大石:ありがとうございます。バランスが取れてきてる。何か小説とかは昔から読んだりしますか。

本田:僕はヘッセがすごく好きで。折に触れて読んでますね。…確かに、真面目なことをしゃべり過ぎたんで、確かに。ふざけないといけない気がしますね(笑)
このチラシのイメージで来ていただけると…!

大石:いやあ、このチラシで、ちょっと調べるとすごくめちゃくちゃな演劇をされている劇団のインタビューがこうなるっていうのが…すごい。私としてはすごく格好いいなと思って、聞いてました!

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劇団 短距離男道ミサイル『Ultimate Fancy Ojisan』

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